発見?それとも露見?

気づかずに生きていたかもしれない。この社会には「個人事業主」という人生の選択肢があり、自分も気づかないうちにそれを選んでいるかもしれないという事に。

コロナの不況対策として、政府が打ち出した給付金政策。国民全員に一律10万円と決まる前、「フリーランス」という言葉が飛び交った。そこには、実に様々な生き方の選択肢があるということが、明らかになった。

フリーランサー。自由な生き方。だが、それは同時に「補償のない生き方」でもある。普段は良いだろうが、自然災害や今回のような疫病災害にはどこまでも弱い。一発当てれば大きいが、今回のように勝負の機会を失えば、無一文の暮らしが待っている。

キャバ嬢や風俗嬢などの女性たちは、全く誰にも守られない。客は当然名を隠して店を利用するし、本人も源氏名で働くからだ。羽振りの良い時は月収数百万円だろうが、「自粛期間」には当然、ゼロ。副業でやってる子はまだ良いとしても、専業の子は、何も無い。

フリーターと呼ばれる、アルバイトで生計を維持する人々もそうだ。コンビニの薄っぺらいビニール一枚の向こうにいる店員さんは、いつ来るかわからない感染者の影に怯えながらレジに立ち、Uber Eats のバイクや自転車が接触事故に巻き込まれるケースも少なくない。

自分の選択ならば「自己責任」という言葉も当てはまるかもしれない。だが、成り行き上仕方なくそうなる事もあるのが今の社会だ。

格差は残酷だ。そして、格差は広がっている。

経済格差は教育格差を生み出して、遺伝する。それを是正する仕組みはあまりにも薄い。薄情だと言っても良い。

平成の間に日本人の中に拡大した格差は、コロナ騒ぎで白日のものとなった。政府はほとんど無策で、手を差し伸べようとしない。だが、ウィルスはそこかしこでとりつくチャンスを狙っている。

次の国政選挙はいつ実施になるのか。彼ら弱者には選挙権があるのか。もちろん、買い物をしたら税率は同じ。非情な10%だ。

コロナで明らかになった現代社会の暗部。ボーッと生きてると、わからないだろう。