コロナが教えてくれた事 その2

経済は崩壊するかもしれない。いや、政府が適切な支援をしないからとか零細企業が多いからとか、そういう事じゃない。

コロナによって「価値」そのものが崩壊する恐れがあるかもしれないからだ。

我々の社会においては、全ての行動に価値がある。今、俺がこの落書きを書いてるブログだって、そこに広告を出す企業が金を出すから、誰かに届く可能性があるのであって、彼らが手を引けば、誰も読まず、部屋でカレンダーの裏に書いてる本物の落書きと違いがなくなる。

彼らの出す広告料が何を原資にしているのかも知らないが、何らかのビジネスであろう。

供給する側は、需要を求めている。

今、街中には、客を求めるビジネスが溢れている。三密を避けて巣籠もりしている人々は、街に出かけてやってみたい事を我慢しているが、その我慢は、客待ちのお店の人々の我慢とは比較にならないだろう。

だが、その関係性もある時点で変化するだろう。美容室であれ、定食屋であれ、居酒屋であれ、パチンコ屋であれ、金のためだけに客待ちをしている訳じゃない。そもそも、全てのサービス業は、客に満足感を与えている。そして、客は満足感を得るためにそうした店に足を運ぶ。

人と人が関わらなくなれば、成立しなくなる活動は多いだろう。電車で出勤してオフィスに行き、終業まで働き、電車で帰るまでに、人は一体何人の人々に会うだろう。その出会いの全てが無くなるとしたら、どうなるのだろう。

「リモート」は、便利だ。だが、あくまでも「相手」が必要だ。

商売が細くなるから、国が金を出せば良いという議論がある。国には借金する事で国民を救うことができる。カネを刷れば人々は救える。だが、一度細くなったビジネスを元に戻すことはできない。やはり客が居ないからだ。

そして、国債をバンバン発行して暮らしを豊かにする向こうには何がある?労働力が無い。使う金はあっても、人が居ない。

仕事は必要だ。カネでは生きがいは買えない。生徒に教師が必要なように、教師には生徒が必要だ。

人には人が必要だ。当たり前のようだが。